先日、テレビで放送されていた『ジュラシック・パーク』を観たのですが、カットされているシーンが多かったので、改めて配信で観直しました。
何度も観た作品ですが、改めて「やっぱり面白い!」と感じたので、その色あせない魅力を整理してみようと思います。
※以下、完全ネタバレではありませんが、一部ストーリーに触れています。未見の方はご注意ください。
スリルの表現
なんといっても、恐竜が近づいてくるときの演出が本当に秀逸です。
あまりにも有名な、足音で水面が揺れる描写。同じスピルバーグ監督の『ジョーズ』にも共通する、あえて見せすぎない恐怖の演出が効いています。
「恐竜が急に出てきて怖い」だけではなく、「来るぞ…!」という心理的なスリルが、何度観てもドキドキします。
ユーモアのセンス
スリル一辺倒にならないのもこの作品の魅力。
思わず笑ってしまうような場面もあります。
例えば、マルコム博士の皮肉まじりのセリフや、弁護士の“あの食べられ方”など…
ところどころにブラックユーモアが効いています。
スリルとユーモアのバランスが絶妙で、ただのパニック映画では終わりません。
観ていて緊張が和らぐ場面があるのも大きいです。
CGに頼りすぎない映像の強さ
1993年の作品とは思えない映像の完成度です。
アニマトロニクス(ロボット)とCGを効果的に使い分けており、「なんでもCG」で済ませないからこそ、映像にリアリティと重量感があります。
CGは発展のスピードが速く、年数が経過するほどにどうしても古く感じるようになります。
一方で、“本物”をカメラに映すことで、「本当にそこに恐竜がいる」と信じさせる説得力を持ち続けます。
テーマ性の深さ
単なる恐竜のパニック映画ではなく、テクノロジーや商業主義の暴走と倫理の問題を描いています。
また、サトラー博士の言動など、さりげなくフェミニズム的な要素もあります。
例えば…
Dr. Malcolm: God creates dinosaurs. God destroys dinosaurs. God creates man. Man destroys God. Man creates dinosaurs.
Jurassic Park (1993)
Dr. Sattler: Dinosaurs eat man. Woman inherits the earth.
【日本語訳】
マルコム博士:神が恐竜を創り、滅ぼした。神は人間を創り、人間は神を破壊した。そして人間は恐竜を創った。
サトラー博士:恐竜は男を食べ、女が地球を受け継ぐ。
※“man”は「人間」という意味も、「男」という意味もある
John Hammond: It ought to be me really going.
Jurassic Park (1993)
Dr. Sattler: Why?
John Hammond: Well, I’m a… And you’re, um, a…
Dr. Sattler: Look… We can discuss sexism in survival situations when I get back.
【日本語訳】
ハモンド氏:私が行くべきじゃないか?
サトラー博士:なぜ?
ハモンド氏:いや… 私は(男で)… そして君は(女だから)…
サトラー博士:私が戻ったらサバイバル状況での性差別について話し合いましょう。
ここ数年、映画の多様性やジェンダー描写について、“woke”とか“ポリコレ”という言葉で批判されたり称賛されたりすることがあります。
しかし、この時代の作品でもそうした意識が(完璧とは言えなくても)自然な形で描かれていて、なにも最近始まった“流行り”ではないということを改めて感じます。
『ジュラシック・パーク』は単なる懐かしさではなく、今観てもなお新鮮に楽しめる理由がちゃんとある映画だと改めて感じました。
スリル、ユーモア、映像、そしてテーマ性。
これだけの要素を高いレベルで融合させているからこそ、何度観ても面白いし、語りたくなる。
きっとこれからも、ふと思い出して観直す映画のひとつだと思います。